タルトタタン




タルトタタン、日本でもよく知られるようになったリンゴのタルトですね。
今から100年以上前、フランスのラモット・ブヴロンという町のレストランでタタンという人が作った、失敗から生まれたお菓子と言われています。
彼女はリンゴをオーブンに入れてから、生地を敷くのを忘れたので、あとからリンゴの上に生地をかぶせて焼いたということです。
私はこの話を始めて目にしたとき、「そんな馬鹿な!ありえない!」と叫んでしまいました。

ホテル・タタンのサイトにタルトタタンの話が載っています。
https://www.hotel-tatin.fr/un-peu-dhistoire-histoire-tarte-tatin
日本語では以下のサイトが分かりやすいと思います。
https://www.tsujicho.com/oishii/recipe/letter/totteoki/tartetatin.html

もし、レストランの料理の流れの中でデザートを作るのに、まずは用意してあったリンゴにとりあえず火を通し、それから何らかのデザートに仕立てようとしたのであったなら、これはもちろん失敗でも何でもありません。
そうではなくて、最初からリンゴのタルトを作るつもりであったなら、いくら忙しかったとしても、タルトにタルト生地を敷き忘れることなどありえないと思ったのです。
私にとっては、ピザを作るのにピザ生地を敷くのを忘れた、クレープを作るのにクレープ生地を忘れた、というのと同じに聞こえます。
素人でもありえない話ですが、ましてやタタンさんは旅籠のレストランの厨房をを切り盛りしていたプロなのですから・・・。


私は「そんな馬鹿な!ありえない!」と叫んだ時に、何かしら強い違和感を感じたのです。その違和感の正体をもう何年もずっと考えてきました。

日本ではタルトタタンはキャラメル風味の強いりんごのお菓子と受け止められているようですが、フランスでは色の薄いタルトタタンも数多く見かけましたので、特にキャラメル味にこだわってもいないように見うけられます。
日本では台となっているタルト生地の方が軽視されているような気がするのです。
タルトとは何か、タルトの美味しさとは何か、そして、タルトタタンの素晴らしさとは何か、について考えてみたいと思います。

タルトとは皆さんご存知のように、台となる焼いたタルト生地の上にクリームやフルーツやナッツなど色々なものが乗っかったお菓子のことですね。いや、お菓子に限らず、キッシュとかタルト・ア・ロニオン(玉ねぎのタルト)とか料理にもタルトと呼べるもの、呼ばれているものがたくさんあります。
台となる生地には砂糖の入ったパート・サブレ(PÂTE SABLÉE)、パート・シュクレ(PÂTE SUCRÉE)、砂糖の入らないパート・ブリゼ(PÂTE BRISÉE)、パータフォンセ(PÂTE À FONÇER)、また、折りパイ生地やブリオシュ生地などのパン生地も使われます。
タルトに使われるこれらの生地の原点はさかのぼればパンにあります。
小麦文化の地域では、平たく丸く焼いたパンに、あるいは薄く切ったパンに色々なものを乗せて食べていたと考えられます。具材を乗せてからまた焼くこともあったでしょう。
砂糖が発明される前でも、ハチミツやフルーツなどの甘いものを乗せて食べることもあったでしょう。
パンに何かを乗せて食べるという食べ方は彼の地のひとつの基本的な物の食べ方だと言うことができます。
この数千年の歴史の間に、パンがバターの入ったものや卵の入ったものや砂糖の入ったもの、現在のタルト生地やパイ生地に変化してきたものがタルトと言えるでしょう。

タルトとは土台となる生地を焼いたものに何かが乗っかったり詰められたりしているものなのです。土台となる生地がなくてはタルトとなりえません。クレープ生地がなくてはクレープになりえません。ピザ生地がなくてはピザになりえませんし、ご飯が無くてはお寿司になりえません。
土台を忘れることなどありえないと思うのです。土台は物としての土台であるだけではなく、文化的・精神的な意味あいでの土台でもあると思うのです。
タルトタタンはリンゴのお菓子である前に数多くあるリンゴのタルトの一種であり、その前にもっと数多くあるタルトの一種です。タルトはあくまでもタルトなのです。
彼我の歴史の違い、タルトという物に対する想いの違いを感じたのです。

タルトがパンに何かを乗せて食べてきたことから発展して、現在のタルトのような形になってからでも数百年は経っているものです。以来フランスでは人々の日常の生活に定着し、最も好まれているお菓子となっているものです。
好きなお菓子のアンケートでは、レモンのタルトや苺のタルトなどが必ず上位をしめているくらい人気のお菓子となっています。
一方日本では、タルトが認知され、よく食べられるようになったのは、ほんのここ数十年のことでしかありません。タルトが誰もが好み、日常のお菓子として頻繁に食べられるものにはまだまだなっていません。
彼我のタルトに対する想いの違いはとてつもなく大きいと言えるでしょう。
日本で、タルトタタンがその土台となる生地のおいしさが軽視され、キャラメル風味の強いりんごのお菓子と受け止められているのもいたしかたないことかもしれません。
もう40年以上も前のことですが、パリで春、苺の季節に、ただ生地を焼いただけのタルトに苺をびっしりと並べただけのタルトをよく見かけました。
日本でなら苺だけで食べるだろうと思ったことです。わざわざタルトにして食べようと思うくらいタルトに対する強い想いがあるのだと思えることでした。


タルトタタンが失敗から生まれたという話は話として面白いので伝えられてきたことなのでしょう。私個人は誰かがこしらえた話だと思っています。話は話として面白いので、それはそれでいいことですが、でも、それでは失敗から生まれたという話が面白いので、だからタルトタタンというお菓子が現在まで伝えられてきたのでしょうか?もちろんそんなわけではないでしょう。

リンゴのタルト(タルト・オ・ポンム)の作り方もたくさんありますが、一般的な作り方は、延ばしたタルト用の生地を型に敷きこんで、リンゴのコンポートなどを底に敷き、薄切りのリンゴを並べて、バターを塗って砂糖をかけて焼く、といったものです。
しかしこの作り方では、焼いている間にりんごの水分が生地にしみこんでしまって、生地のサクサク感が出ないので、おいしいタルトではなくなってしまいます。
なので、「空焼き」と言って、型に敷きこんだ生地をいったんサクッと焼いて、その中にフィリングを詰めるなどしてもう一回焼くという工夫をします。手間暇は倍かかってしまいますが、美味しいタルトを作るためには欠かせない工夫となっています。
もしキャラメル味の強いリンゴのタルトにしたいだけであれば、空焼きしたタルトに、しっかりキャラメリゼしたリンゴを詰めればいいだけです。最後に上に砂糖を振ってサラマンドルかバーナーで再度キャラメリゼすれば申し分ないものとなるでしょう。
ではタルトタタンの素晴らしさはどこにあるのでしょう。

タルトタタンの伝統的な作り方は、型かフライパンなどにバターと砂糖を入れ、火にかけてさっとキャラメリゼし、その上にくし形に切ったリンゴをびっしりと敷き詰め、生地をかぶせてオーブンで焼くだけです。実にシンプルな作り方です。それがとても美味しいものに出来上がるのなら、忙しい旅籠のレストランのデザートとしては理想的なものと言えるでしょう。
とてもシンプルな作り方ながら、上に生地をかぶせて焼くことによって、空焼きという結構大変な手間暇をかけることなしにリンゴの水分の生地へのしみこみを最小限にし、さくさくの美味しさを作り出しています。
実にそこにこそタタンさんの工夫の素晴らしさがあると思うのです。

タルトタタン(TARTE AUX POMMES À LA FAÇON DE SOEUR TATIN)。その名を冠して敬意をもって伝え続けられるに値する、素晴らしいお菓子だと思います。


〈追記〉
タルトタタンに関してもうひとつ大事なことをつけくわえておきます。
それは選ぶべきリンゴのことです。
お菓子に使う場合は常に大事なことですが、特にタルトタタンには果肉が充実していてきめ細かく、水分が少なめで焼き縮みのしないリンゴ、また、焼いてもとびにくい香りの強いリンゴを使うことが求められます。
リンゴが適切であれば、くし形に切ったものを並べて生地をかぶせて焼くだけの実に簡単な作りで、冒頭の写真にあるようなタルトタタンができます(これも紅玉リンゴを使っていますので、多少穴が空いています)。
現在の日本の多くのリンゴでは、この作り方だと以下の写真のようになってしまいます。


このすきまだらけのぶかっこうなだけでなく、切り分けるのも食べるのも大変な状態になるのを避けるためには、リンゴにあらかじめ火を充分通して、焼き縮みをさせておいて(??)、それを固めて上に生地をかぶせて焼くということをしなければなりません。
手間暇もかかりますし、長時間リンゴに火を通す結果となって、もともと香りの弱いリンゴでは香りがすっかりとんでしまって、ただただキャラメルの味だけのなんのお菓子だかさえわからない味になってしまいます。

タルトタタンに使うリンゴはゴールデンが最適だと思います。
ゴールデンは世界中でもフランスでも最も多く栽培され、最も多く食べられているリンゴだと聞いています。フランスのタルトタタンにもゴールデンが最も多く使われています。煮ても焼いても目減りがせず、果肉がきめ細かく充実していて、タルトタタンに使ったら、簡単な作り方でも縮んですきまが空くこともなく、リンゴどうしがぴったりくっついて、実にいい具合に仕上がります。
そのゴールデンがこの日本ではもうすっかり消えてしまったのはとても残念です。30年くらい前まではまだ多く見かけましたし、現在出回っている多くの品種のリンゴの親木となってもいますので、作れないわけはないと思うのですが・・・。

日本では果物に火を通して食べる習慣がありません。ほとんどすべてと言っていいくらい、果物は生食用に栽培されています。現在日本で流通しているリンゴのほとんどは、水分をたっぷり含んだスポンジ状のきめの粗い果肉となっていて、おそらくペクチン分もミネラル分も少ないものとなっています。そのため、火を通すと大量の水分をはき出し、身縮みが激しく、香りもなくなって、加工用には全く向いていません。

お菓子作りに携わるものとして、製菓用のリンゴ、煮たり焼いたりするのにふさわしいリンゴの栽培・流通を強く強く望むものです。