おいしさは時間がつくる


シェソア教室の生徒さんが先日飛騨高山にお店をオープンしました。パイとキッシュのお店です。

高山に伺った折に、会食中に美味しさとは何か、美味しいものを作るにはどうしたらいいかという話になりました。

おいしさって何?

食材の持つ成分から考えたり、あるいは人体の生理から考えたり、色んな切り口で考えることができますが、ひとつには、おいしさとは時間が作るものであるという話をしました。そうしたら、その言葉がずっと頭にあると言っておられました。 

時間をかけたから、時間をかけさえすればおいしいものが出来るとは言えませんが、かけるべき適切な時間をかけなければ、その時間を省いてはおいしいものはできないということは確かです。


まず、食材に関してです。

肉、野菜、果物、パン、チーズ、ワイン、あるいは調味料などの加工品などなど、おいしい食材ができるのには時間がかります。手間ひまを省いたもの、促成に栽培されたもの、促成に飼育されたものはやっぱりおいしくありません。料理にしても時間をかけずささっとできて、かつおいしいものもありますが、それはやはり元の食材が丁寧に時間をかけて作られたものである時だけのように思います。

促成栽培で味も香りも乏しく、水っぽいだけのサラダ菜やトマト、キュウリに市販のドレッシングをかけただけのサラダがおいしいものになることなどまずありません。丁寧に時間をかけて作られた野菜なら、塩をかけるだけでもおいしく食べられます。 

肉の煮込みなど時間がかかる料理にしても、圧力鍋、電子レンジなど使っても、確かに時間は短縮できても味をおいしくすることはないと思います。風味を保ったまま固い肉が柔らかくなり、他の味がしみこんでおいしくなるには時間が必要なのです。

パンやワインなど発酵食品にいたっては、時間がすなわちおいしさであるといってもいいくらいです。 

かけるべき時間を短縮し効率優先で作られたものは風味が希薄です。希薄な味をごまかすためには、塩、砂糖、油脂、発酵調味料などをたっぷり使って、味付けで食べさせることになります。それがまさに食品産業の工業的なものつくりです。ほんもののおいしさとは遠く離れたものでしかありません。 

お菓子作りも全く同じです。効率優先で作られた食材を使い、必要な工程を省いて短時間に作ってもおいしいお菓子ができることはありえません。

ものつくりは人のほうの都合ではなく、物の都合に人が合わせる、物のほうが育つ時間を作ってあげなければならない、その時間を省くことはできないと思うのです。 


それから次に作る人のほうに関してです。

おいしいものを作るためには、まず美味しい食材を選び、そしてこれから作るものの味を的確にイメージし、またできたものを判断することができる味覚を育てなければなりません。そしてそれを実現させるための技量を身につけなければなりません。 

味覚を育てるのには時間がかかります。小手先のテクニックを身につけるだけなら集中的に練習することもできますし、見かけの色や形を整えるだけのテクニックならたいした時間はかかりませんが、食材を味わい、できたものを味わって的確に判断できる味覚を育てていくにはとてつもなく長い時間がかかります。

そして自分の手でおいしいものを作り出す技量を身につけるのにも長い時間が必要です。ものつくりは結局のところ絶え間なくただひたすら作り続けるしかないからです。作っては食べ、食べては作り、失敗もしながら、食材の変化や環境の変化に合わせ、細かな調整と工夫をしながら、長い時間をかけて身につけていくしかないのです。その時間を省いては、おいしさを作り出す力はできません。 

無駄な手間ひまは省かなければならないかもしれませんが(無駄も結構貴重なことがありますが)、時間短縮、効率化、省力化といったことは、少なくとも料理やお菓子作りにとってはほとんどの場合その品質を(味を)損ねることにつながる、おいしさとは時間が作り出すもの、時間こそが大事なのだ、と私は思います。

 

冒頭の高山のお店はパイとキッシュのお店としてオープンされました。そのパイ生地をここまで手作りに徹して作られる方はそうはないと思います。量的な問題から商売につなげることがなかなか困難だと思われるからです。そのことに果敢に挑戦しておられます。エールを送りたいと思います。

お近くの方、飛騨高山に立ち寄られる方、是非訪ねてみてください。素敵なお店です。Elleys Kitchen