おいしいお菓子を作るには(2)


「おいしさ」とは何か、についてもう少し考えてみましょう。

 「おいしさとは味覚だけではなく、視覚、触覚、聴覚、嗅覚の五感すべてで感じる総合的な感覚のことである。」とはよく言われます。いかにも誰もが納得しそうな説明です。確かにその通りなのでしょう。が、しかしこの説明がおいしいものを作ることに、また、ものそのものの質を良くすることに役立つでしょうか。ひとつひとつ考えてみましょう。 

視覚によるものでは、見た目においしそうということが重要だと言われますが、見た目においしそうだったものがおいしくなくてがっかりしたとか、あまりおいしそうに見えなかったがとてもおいしかったとかという経験は誰しもあるでしょう。果物や野菜が鮮やかなきれいな色だからといって、その内実がおいしいものだとは限りません。お菓子がその色と形が素晴らしいものであっても、味がよくないということはいくらでもあります。現今はむしろそういうもののほうが多いとさえ言えます。

見た目が良くてもおいしくないものはあるし、見た目が悪くてもおいしいものはあります。見た目がおいしさを保証はしないのです。 

触覚によるものではどうでしょう。固いか柔らかいか、さくさくしているか、しっとりしているかなどの触感はもののおいしさを表すものでしょうか。牛肉のステーキなど、固くてもかむごとに肉汁の味が押しよせるような美味しい肉もあれば、柔らかくても脂っぽいだけの味わいに乏しい肉もあります。クッキーがさくさくしていてもおいしくないものはあるし、ソフトな触感のクッキーでもおいしいものはあるし、その逆もあります。スポンジケーキがしっとりしているか乾いた食感であるかはそのケーキのおいしさを決定づけるものではありません。

聴覚によるものではさらにはっきりしています。カリカリ、パリパリなどその音が心地よくてもおいしくないものはあります。 

では一方で、味覚と嗅覚によるものはどうでしょう。

はじめに断っておきますが、物を口の中に入れて味わう時には、私たちはそれを味覚による味と嗅覚による香りとに分けて別々に味わうことは普通しません。それはほとんどいつも同時に味わっています。なので、ここでは味覚と嗅覚による味わいは一緒にして考えていくことにします。 

味覚・嗅覚によるもの、すなわち味と香りが良くておいしくないものはないし、味と香りが悪くておいしいものもあり得ません。味覚・嗅覚が正常であれば、目をおおい、耳をふさいでもおいしさは味わえます。そこが他の感覚によるものとは決定的に違います。風邪をひいた時のように味覚・嗅覚に障害が出た時、視覚、聴覚、触覚だけでおいしさを味わうことができるでしょうか?その逆に、視聴覚に障害があったら食べ物のおいしさを分からないと言えるでしょうか?視聴覚に障害があればむしろ味覚・嗅覚は健常な人より鋭敏になります。人の感覚は一部に不足があれば他の感覚でそれを補おうとするものだからです。 

味覚・嗅覚以外の他の感覚によるものは言わば枝葉であり、それに付随するものに過ぎません。味覚・嗅覚だけではない、五感すべてが大事であるという説明は、あくまでも味覚・嗅覚によるものが良しという前提にたっての説明でしかありません。その前提が、それこそが問題の中心、肝腎要なのです。

昨今は見た目と食感にこだわるあまり、肝腎の味覚・嗅覚をおろそかにし、その感覚を衰えさせているように思えます。味覚・嗅覚によるものだけが「おいしさ」を決定づける根本のものであり、そこを棚に上げておいて、見た目が大事も何もありません。 

「おいしさ」とは食べ物の質のことであり、その本質は視覚・触覚・聴覚によっては判断できません。それは味覚・嗅覚によってのみ判断されるものと言うことが出来ます。

ではどうしたら、「おいしさを分かる」、おいしさを判断できる力を身につけることができるでしょうか。

つづく。


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おいしいお菓子を作るには(1)


「おいしいお菓子を作るにはどうしたらいいですか?何が必要ですか?」

そういう質問をこれまでたくさん受けてきました。お菓子に限らず、料理も含め、口にするものすべてにおいて、おいしいものを作るには、おいしさを作り出すためには何が必要なのか、何が大事なのかを考えてみましょう。

まず、何よりも大事なことは「おいしさを分かる」ということです。「あの人は味の分かる人だ」などという言い方を耳にすることがありますが、つまりそれは「おいしさが分かる」ということです。おいしさとは何か、何がおいしいか、何をもっておいしいとするのか、これが分からなければおいしいものを作ることは出来ません。作り方のノウハウや技術(テクニック)は二の次です。おいしさを理解せずにテクニックをいくら習熟させたところで、それはおいしくないものを作るテクニックをせっせと磨くだけのことにもなりかねません。

おいしいものを作るためには、まず良質な食材を選ばなければなりません。お菓子作りで言うなら、基本となる食材である、粉やバターや砂糖、卵、それからフルーツやナッツなど、どれが良質なものなのかを的確に判断し、選び取る必要があります。質の悪い材料から、おいしいお菓子ができることはあり得ませんから。

そうして良質な食材を選んだら、その材料に適切な手と時間をかけて、望んだおいしさを作り上げていくわけです。その時に最も必要なのが、このおいしさの理解、判断力、そして出来上がるものに対する確かな味(おいしさ)のイメージなのです。そうして出来上がったものに対して、これがいい、これでいいという確かな判断ができなければ、「おいしさ」そのものが分からない訳だから、おいしいものを作ることはできません。行く先が定まっていなければそこへ到達することはできない道理です。

「おいしさ」って何?

「おいしさなんて、人それぞれ好みがあるんだから、そんなもの決められないだろう?好きなものはおいしいものだし、嫌いなものはおいしくないものだろう?」

そうですね、多くの人は自分の好みで、自分の口に合うかどうかでおいしいかどうかを判断しています。では、自分かあるいは誰か特定の人の好みに合うことだけを目指してものを作れば、おいしいものが出来るのでしょうか?それぞれの食べ物には良し悪しはない、すべては人の好みが決めることだと言い切っていいのでしょうか?

人の好みはほんとうに様々です。たとえば、マドレーヌというお菓子があります。このお菓子を作って二人の人に食べさせたら、一人は甘すぎると言い、もう一人は丁度いい甘さだと言います。人の好みは本当に様々です。甘さの好みも感じ方も人によって違います。この二人を同時に満足させることは不可能なのです。さらに同じ人でも日によって時間帯によって感じ方が違うこともあります。同じものを食べても、ある日は甘すぎると感じ、別の日にはちょうどいい甘さだと感じることもあります。同じ人の好みも日によって異なることがあるということです。

好みに合わせて作ることができるのは、その人の食べ物の好みや生活習慣までも充分に知り尽くした、ある特定のひとり(自分自身を含めて)のためにだけということになります。その同じお菓子が別の人にとってもおいしいと思ってもらえる保証など全くありません。

おいしさは食べるほうの感覚の問題であるという考え方には、作る人の視点が欠けているように思えます。受け取る人、すなわち食べる人のほうの好みをいくら考えても、それでおいしいものが作れるようにはならないでしょう。

人の好みの傾向などを生理学的に、あるいは心理学的に研究することは意味のあることでしょう。たとえば食べ物でビジネスをしようとする場合などはそれは大いに役立つことでしょう。しかしそれが食べ物そのものの内容を、その質を良くすることにつながるとは思えません。人の好みの問題と食べ物そのものの質とは別のことだと考えるべきです。

では、おいしいものを作るには、いったいどうしたらいいのでしょう?

お菓子における砂糖の役割は甘さだけではありません。お菓子の構造を支えたり、他の材料の風味を引き出したり、水分をかかえこんでしっとり感を保ったり、、オーブンでの火の通りをよくしたり、ふくらみを支えて柔らかさを保ったり、かびや細菌の繁殖をおさえたり、などなど、たくさんの大きな役割があります。そのために、適切な配合というものが長い年月をかけて、また数えきれないほど多くの人々の試行錯誤を経て作られてきたのです。好みに合わないからといって安易に増やしたり減らしたり出来るものではないのです。

良質な食材を選ぶのに、そしてふさわしい分量や調理法を好みで選んでは間違ってしまいます。むしろ自分自身の好みにも誰かの好みにも左右されずに、それらを選びとる能力こそ求められるものです。

作り手にできることは、できる限り良質な材料を選び、適切な配合で、適切な手と時間をかけて、それぞれの材料の風味を生かし、マドレーヌならマドレーヌというお菓子として最良のものになるよう作りあげることだけです。そこに人の好みの入る余地はありません。そこに最も必要なのは好みを排して「おいしさ」を、すなわちそのものの質を判断できる力です。各材料に対して、そして出来上がったものに対して、これがいい、これでいいと的確に判断できる力です。その力の差がおいしいものを作れる、作れないの決定的な差となります。その力を身につけるにはまず第一段階として「おいしさを分かる」ことが何よりも大事なことなのです。

何も難しいことはありません。食べ物のおいしさとは個人的な好みとは関りなく有るものだということ、それは食べ物そのものの質(品質)に関わることであるということを理解しさえすればいいのですから。


「おいしさ」について、もう少し考えてみようと思います。

つづく。


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