フランス菓子と料理を通じて、味わう喜び作る楽しさを一人でも多くの方に伝えたい。 パリのコルドン・ブルーで学び、講師として務めた後、東京・成城のフランス菓子教室「シェソア」を主宰している冨田幸敬が、伝えたいお菓子作りのコツや料理のヒント、食べ物について思うことなどを書いています。
ムッシュー・ポネとのインタヴュー⑶
ムッシュー・ポネとのインタヴュー⑵
-はじめは、それは同じものです。菓子の学校の先生というものも、最初は菓子職人です。つまり、数学であれ、体育であれ、音楽や絵画であれ、すべての分野における教師と同じように、自分の分野を学ばなければなりません。しかしながら、教師というのはその上に、まず第一に、他の人に対して自分の知っていること、自分のできることを分け与える愛情が必要なのです。従って、人間心理に対する洞察力や忍耐心、我慢強さが必要となってきます。もちろん、自分自身の両の手を人に与えることは出来ませんが、それにもかかわらず、教える相手を自分と同じようにできるようにもっていくことを試みる力というものが必要です。それは必ずしもうまくいかないことが多いだけでなく、しばしば実現不可能なほどのこともあります。しかし、究極にはそれが教えるということの目的なのです。そしてそれだからこそ、重要なことは人間との接触を好む人でなければならないということです。仕事場で黙ってコツコツと仕事をして、それで充分幸せな人もたくさんいます。しかし、教師はそれではいけません。たとえば私は孤独が好きではありませんし、より多くの人間と接触できるほうが、私には満足なのです。
-この学校は、基本となる材料の質というものがいかに大事で、また、その質を保つことがいかに必要なことであるかということを、人々に理解させるために作られたのです。といいますのは、人々は私たちの周りに出回ってきた、より質の悪い材料を使って、より安易な仕事をするように段々なってきたからです。確かに、それらの新しい材料を使えば比較的容易に利益をあげることができますが、結果として、決してより良い質のものを作り上げることにはなっていないからです。
-すべてのメソッドというものは決して悪いわけではないのです。消費者が何を要求するかに適応させなければならないからです。しかし、アメリカのメソッドというものはフランスでは成功していないようですね。繰り返しになりますが、アメリカのメソッドというものは、いわば前出のスーパーマーケットと同じことです。人間関係というものを抜きにしてやっているのです。彼らも可能な限りいいものを作るようにしてはいるのでしょうが、結局のところ、やはりそれは金を多く早く稼ぐためのもので、ただそれだけなのです。
ムッシュー・ポネとのインタヴュー⑴
まずは当時のルノートル製菓学校の校長ムッシュー・ポネとのインタヴューの内容です。今や多くのことが随分変わってしまいましたが、これは45年前のことです。
ルノートルはパリのあちこちにあり、東京にも店(ライセンス契約)がある、菓子だけでなくパンやチョコレート、氷菓、仕出し料理もやっている、今や大成功している企業体です。そして、ECOLE LENOTRE(ルノートル学校)はその同じ所がやっているもので、いわゆるプロを相手とする製菓学校です。
パリからオートルートにのって南西へ約30分、ベルサイユを通り過ぎてしばらく行ったプレジールという町、森と畑の真っただ中に、ルノートルの工場に隣接して立っています。(現在はランジスに移転しています。)あまりの田舎なので車がないと大変です。授業が8時から始まるので、まだどの店も開いていない、パン屋の地下からの光がもれているだけの静かなパリから始発のバスに乗ってモンパルナスの駅へ行き、列車に乗って約25分、それからまたバスに乗り替えていかなければなりません。バスの到着の時間も正確ではありませんし、一度に何台も来て、しかも行く先も表示していないことも多く、一台一台聞いて回らなければならないはめとなります。それも一時間に一本しか運行していなく、不便なことこの上もありません。初めて行った日には「これはまた随分と厳しい入学試験だなぁ・・・」とつぶやいたことでした。
話が少しそれてしまいましたが、この、フランス中からお菓子のプロが、既に名をなしているような人までも含めて集まる学校というものが、これだけの成功をおさめているお菓子屋の頭脳ともなっている学校というものがどんなものなのか、教える仕事をめざしている私にとって非常に興味がありましたし、私がここのコースをいくつか受講したこともあり、また、日本から受講に来る団体の為に頼まれて通訳兼アシスタントをしたこともあって、ある日、この学校の校長であるムッシュー・ポネと話をする機会をもつことができました。
以下はその時の会話です。
-この学校はいつできたのですか?
-1970年ですが、生徒を募集し始めたのは1971年になってからです。
-準備に1年かけたというわけですか?
-えぇ、そうです。その間、私たちは全ての資料を点検し、必要なレシピの整理や記録などの準備をしました。そうして、ルノートルのメソッドに従って、この学校を組織しました。
-つまり、あなたは創設以来ここにいらっしゃるわけですか?
-えぇ、もちろん、この学校を起こしたのは私ですから。ムッシュー・ルノートルが資金を提供してくれたのです。
-どういう生徒を募集しているのですか?
-職業としてこの仕事に従事している人たちを優先的に受け入れています。ですが、菓子職人だけでなく、料理人、その他食に関する職業を持つ人達すべての為に、この学校は開かれています。
-外国人も受け入れていますか?
-えぇ、もちろんです。この学校がどんどん知られるようになるに従って、外国人も段々増えてきています。
-生徒数はどれくらいなのですか?
-私の学校には、いわゆるお菓子のクラス、アイスクリームやシャーベットなどの氷菓のクラス、飴やキャラメル、チョコレートなどのクラス、デコレーションや店の飾りのクラス、それから今度新たに開設される料理のクラスと、合計5クラスあります。それで最終的には、一週当たり45~55人の生徒を受け入れることができます。というのは、私は一クラス一人の先生につき10人以上の生徒を配置したくないからです。
-えっ、どうしてですか?
-えぇ、本当に内容を充実させて生徒にとって意義のあるコースにし、また、先生に必要以上の負担を与えない為には、一クラス10人くらいが最も適当だと思えるからです。それ以上にしますと、経営上は楽かもしれませんが、生徒からも先生からも不満が出てくるようになるでしょうし、結局は経営を悪化させることになると考えるのです。
生徒数は、ここ5年間を例にとれば、75年は150人、76年は190人、77年は323人、78年は511人、79年は700人、80年は950人に、そして81年は1,150~1,180人になるでしょう。
-わずかの生徒数から始めて着実にふえてきているのですね。これは当初からの予定でしたか?
-えぇ、その通りです。先ほど言いましたように、一週当たり55人を最大数として、1年50週とすれば、2,750人を受け入れることができるわけですが、もちろん、この計算通りにはいきません。というのは、クリスマスや新年や復活祭の祭日、そして7、8月のヴァカンスがあって、その期間には来る生徒は少なくなりますし、また、先生たちもヴァカンスをとりますから、クラスの数が必然的に少なくなってくるからです。私としては、年間1,200~1,400人の生徒が集まれば大いに満足というところです。
ここで私は、ムッシュー・ポネの個人的なことへと話題を変えてみました。
-ポネさんはスイスからいらしたと聞きましたが?
-えぇ、私はパリに生まれたのですが、スイスの製菓学校に20年間、先生として働きました。
-例の有名なコバ製菓学校ですね?
-えぇ、そうです。この学校にも多くの日本人が来ていましたので、日本でもよく知られていることだと思います。
-その前はフランスで仕事をしていらしたのですか?
-えぇ、8年間お菓子屋で働いたあと、スイスに行きました。
-どうやって菓子職人になるに至ったのですか?
-私も他の大部分のフランス人のケースと同じように、家の仕事を引き継いだのです。というのは、私の祖父がパン及びお菓子の職人でして、その祖父には7人娘がいて、そのうち5人が菓子職人に嫁ぎ、その息子たちの内5人がやはり同じ仕事を選んだというわけです。しかし、私はもともと菓子職人になるつもりはなかったのです。
-えっ、本当ですか?
-えぇ、私は実は音楽と絵画の先生になりたいと思っていました。まぁ、教えるという仕事に魅力を感じていたことに変わりはないのですが。戦争があって、私の兄も戦争で亡くなったり、不幸が重なって、私は働かなければならなくなり、音楽と絵画の先生になる為の勉強を続けることができなくなり、それでお菓子屋に入ったというわけです。
ところが、私は絵の勉強をしていましたから、お菓子でも、デコレーションの分野に非常に興味を持ち、その面で、すんなりと上達することができました。1952年、私が28歳の時に、ホワイトチョコレートで作った作品をコンクールに出品しまして、その時にそれを認めてくれた審査員の一人、スイスのコバ製菓学校の校長と出会ったというわけです。それから、彼の招きを受けて、その学校でデコレーションと砂糖細工の先生から始めたのです。
-この仕事をどう思いますか?
-個人的にはとてもいい仕事だと思っています。というのは、まず第一に創造的な仕事だからです。
作るという楽しみがあり、また、新しいものを創り出す可能性があります。それから、人々の生活の楽しみのひとつの作り手であり、提供者でありうるからです。つまり、毎日の食生活においてももちろんですが、パーティーだとか、誕生祝い、結婚式などを通しても、私たちは全ての家庭の喜びに参加できるのです。
また、この仕事を選ぶ若い人たちには、全世界を旅行するチャンスがその雇い主によって与えられるということも、一つの楽しみです。(国内外での研修勤務がプログラムに組み込まれていたのです。)それからもう一つ、自分で店を持てる可能性が大きいことがあげられます。ここフランスでは、作る男性と売る女性が必ず必要で、そのために商店業に従事する女性といっしょになって、店を持つことが多いということ、それは私たちの仕事の一つのメリットといってもいいかと思います。日本ではどういう仕組みになっているか存じませんが。
口どけ
口どけはフランス菓子にとって(フランス料理にとっても)好みに関わらず特に重要であり、一大特徴とも言える要素です。それなのに、私たち日本人には今ひとつ理解しにくい感覚のようにも思われます(?)ので、この口どけについて考えてみたいと思います。
口どけには大きく分けて2種類あります。
ひとつにはバターやチョコレート、ホイップクリームなどが口中で溶けて液状になっていく口どけがあります。こちらは誰にも分かりやすいことで特に説明は要らないでしょう。
これとは別にもうひとつ、クッキーやパウンドケーキなどの焼菓子やスポンジケーキを食べた時の口どけがあります。これは前者のようないわゆる物理学的な意味の「とける(溶解・融解)」ではありません。
この場合の口どけの良さとは口中で食べ物が咀嚼される際、固まりが細かく嚙み砕かれて、それが寄り集まって収縮するのではなく、拡散していく様を表します。団子になって飲み込みにくくなったり喉につかえたり、糊になって口蓋にベタベタと貼りついたりせずに、細かく拡散してすんなりと喉を通り過ぎていく様を表します。
この口どけが良いということが、実はフランス菓子にとって必須なことであり、重要な要件なのです。
その理由には二つ考えられます。
ひとつには、食べ物は口中で溶けてはじめてその味と香りがよりよく感じられるということがあります。個人の好みに関わらず、概して口どけがいいと咀嚼中の食品の風味が特に香りの面においてより多く、より強く感じられます。食べ物の中に隠された真に深い味わいというものは(質の悪さも)口中でよく溶けることによって、その姿をあらわすものだと私は考えています。
もちろん、食べ方などは個人の自由ですし、それぞれの地域の文化であり、私たち日本人はそういう食べ方をするし、塩味のない白ご飯を主食とし、塩鮭や佃煮、漬物などのしょっぱいものをおかずとし、またおみそ汁などの汁物と一緒に食べる和食の食べ方としては理にかなっていますし、そういう文化ですから、これは良い悪いの問題ではありません。
フランス料理の文化では基本的にはこの「足し食べ」「足し飲み」をしません。料理にもそれぞれに味がついています。メインの肉や魚にももちろん、付け合わせの野菜にもソースにもパンにもそれぞれに丁度いい味がついていて、それぞれ単独でも食べられるようにするのがフランス料理の基本です。そしてデザートやお菓子も同様に、必ずしも飲み物が必要ではないように口どけよく作られています。
フランス料理ではポタージュやピューレやムース、また肉や魚の加工品でもパテやテリーヌ、リエットなど、口どけのいい料理が数多くあります。
フランス料理の場ではもしパンとスープを一緒に味わいたかったらパンにスープを浸して食べます。パンと前菜のテリーヌやメインの付け合わせの野菜料理を一緒に味わいたかったら、パンにそれぞれを乗せて口に運びます。ワインを飲みながら食事をする時でも、口中の食べ物がなくなってしまってから、ナプキンで口をふき、しかるのちにワインを味わいます。ワイングラスをベタベタに汚すなどは避けたいこととされています。ワインでなく水でも同様です。
そういうわけで足し食べ・足し飲みをしない文化では、口どけの悪い食べ物は料理であれお菓子であれ、飲み込みにくかったり、のどにつかえたり、あるいは糊になって口蓋に張りついたりして、かなり不快なことになってしまいます。
この足し食べ・足し飲みをしないということと、冒頭で述べた「食べ物は口中で溶けてはじめてその味と香りがよりよく感じられる……」ということとの二つの理由から、フランス菓子は口どけが良くなければならない、飲み物を必要としない、飲み物が無くても快適に食べられるということが基本的な要件であり、口どけが良くなければフランス菓子ではない、フランス菓子としては失格であるといっても言い過ぎではないほど、「口どけ」は重要なことだと私は考えています。
食感とおいしさ
Q:「おいしさとは食べ物の質のことであり、その本質は視覚、触覚、聴覚によっては判断できない、それは味覚・嗅覚によってのみ判断できる」ということですが、それでは、食感は重要ではないということですか?私たち日本人は「ふわふわ」、「しっとり」といった食感にとてもこだわっていると思うのですが。
A:触覚による食感(触感)も食べ物の味わいの中でもちろん重要です。特に私たち日本人は昨今は味や香りよりもむしろ見た目と食感を重要視しているように思えます。ですが、食感はほとんどすべてと言っていいくらい個人の好みの問題であり、そのもののおいしさを(品質を)決定づけるものではない、客観性はほとんどない、と私は考えています。
前稿「おいしいお菓子を作るには(2)」で牛肉やクッキー、スポンジケーキの例をあげましたが、分かりやすい例として「柿」と「黒豆の煮物」をあげてみましょう。
柿は一般的にはカリカリと歯ごたえのいいものが好まれているようですが、フランスなどではスプーンですくって食べるくらい柔らかく熟しているのが好まれます。日本でもそうした柿を好む人は少なからずいます。でも固いからおいしい柿であるとか、いや柔らかいからおいしい柿であるとかいうことはできません。それはあくまでも個人の好みの問題であって、その柿の品質の良し悪しの問題ではないということです。
お節料理の定番の黒豆の煮物は関西地方では表面にシワがなくふっくらと柔らかく煮あげるのがいいとされていますが、関東や九州ではあえてシワシワにし、歯ごたえがあるように煮上げることが多いです。これはどちらがおいしいということではなく、固いか柔らかいかの食感の問題はあくまでもその地域の人々のあるいは個人の習慣や好みによるものです。固いか柔らかいかが「黒豆の煮物」のおいしさを決定づけるものではないということです。
黒豆の煮物のおいしさは、材料である黒豆や砂糖、あるいは塩などがいい品質のものであり、ちゃんと火が通っていて、それらのことが食べた時に味覚・嗅覚で感じ取られるものであることだと言うことができます。
食感はほとんどすべてと言っていいくらい個人の好みの問題だと言いましたが、フランス菓子、フランス料理に限っていえば、唯一必須といっていいくらい重要なものがあります。それは「口どけ」です。食感の中で口どけはフランス菓子にとって(フランス料理にとっても)好みに関わらず特に重要であり、一大特徴とも言える要素です。それなのに、私たち日本人には今ひとつ理解しにくい感覚のようにも思われます(?)ので、次回はこの口どけについて考えてみたいと思います。
おいしいお菓子を作るには(4)
本当においしいお菓子を作りたいと思ったら、そのお菓子の本質を充分に理解する必要があります。
たとえばおいしいマカロンを作りたいと思ったら、まずアーモンド、卵白、砂糖など、使われている一つ一つの材料の特徴、性質、その役割、またそのおいしさを理解していなければなりません。また、それらがどのように調理され組み立てられているか、その構造を余すところなく理解していなければなりません。そして何よりも、マカロンというお菓子のおいしさというものの本質を理解する必要があります。いったいどうできたマカロンがおいしいマカロンなのか、いったいマカロンのおいしさとは何なのだ、ということを、その本質をつかみとらなければならない、そうでなければ真っ当な判断力は身につかないでしょう。
しつこいようですが、そこに個人の「好み」がはいりこむ余地はありません。好みを排して物に向かい合うことが求められます。
おいしさの本質をつかみとり、判断力を身につけるためには、とにかく食べて食べて食べまくるしかありません。音楽であれば聴く、絵画であれば見る、食べ物であれば食べる、ただひたすら聴く、見る、食べる、それしかありません。出来立てのマカロンも食べる、時間をおいた、あるいは日にちの経ったものも食べる、常温で食べる、冷蔵状態で食べる、空腹の時に食べる、満腹の時に食べる、食べては作り作っては食べる、成功したものも失敗したものも食べる、人の作ったものも色々と食べる、そうした経験をたくさん積むことでしかそのおいしさの本質はつかむことができません。
それだけではなく、このマカロンという素晴らしいお菓子を生み出した文化にも理解が必要です。あるいは少なくとも興味を持つことが必要です。フランスの食文化、ひいてはそれを生み出したフランスの文化、マカロンというお菓子がいつどこでどう食べられているか、彼らが何をどう考え、どんな生活をしているかといったことも知っておく必要があります。
考えてもみましょう。フランス人が和菓子を学んでフランスで和菓子の店を出したり、あるいは和菓子を教える教室を始めたとして、その人が日本の食文化、言葉、生活習慣、ものの考え方等、日本の文化をほとんど知らない、日本語も話せないし、日本語で書かれた和菓子の本も読めないとしたら、そんな人を信用できるでしょうか?その人が本当においしい和菓子を作ることができると思えるでしょうか?日本人であれば、これらはほとんど当たり前に身につけている事柄でしょう。
料理は文化、お菓子も文化です。フランス料理もフランス菓子もフランス文化の文脈で把握されるべきものです。おいしいお菓子を作るためにはひとつのお菓子のレシピによる作り方だけではなく、ひとつひとつの材料のこと、そしてそのお菓子を生み出した文化、すなわちフランス菓子であるならば、フランスの食文化は言うまでもなく、フランスの言葉、人々の生活習慣、思想・哲学も含めたフランスの文化全体についての理解と知識が必要とされる、そうでなければ本当においしいフランス菓子を作ることはできない、と私自身は考えています。まぁ大層なことだと思われるかもしれませんが、フランスでお菓子作りを意識的におこなっている人なら、プロであろうと一般の人であろうと誰しも特に意識しなくとも当たり前に身につけていることですから、これは持つべき基本的な素養だと私は思います。





