口どけ

 

                      (画像はパリに居た頃の写真です。本文と直接の関係はありません。)


口どけはフランス菓子にとって(フランス料理にとっても)好みに関わらず特に重要であり、一大特徴とも言える要素です。それなのに、私たち日本人には今ひとつ理解しにくい感覚のようにも思われます()ので、この口どけについて考えてみたいと思います。

 

口どけには大きく分けて2種類あります。

ひとつにはバターやチョコレート、ホイップクリームなどが口中で溶けて液状になっていく口どけがあります。こちらは誰にも分かりやすいことで特に説明は要らないでしょう。

これとは別にもうひとつ、クッキーやパウンドケーキなどの焼菓子やスポンジケーキを食べた時の口どけがあります。これは前者のようないわゆる物理学的な意味の「とける(溶解・融解)」ではありません。

この場合の口どけの良さとは口中で食べ物が咀嚼される際、固まりが細かく嚙み砕かれて、それが寄り集まって収縮するのではなく、拡散していく様を表します。団子になって飲み込みにくくなったり喉につかえたり、糊になって口蓋にベタベタと貼りついたりせずに、細かく拡散してすんなりと喉を通り過ぎていく様を表します。

この口どけが良いということが、実はフランス菓子にとって必須なことであり、重要な要件なのです。

その理由には二つ考えられます。 

ひとつには、食べ物は口中で溶けてはじめてその味と香りがよりよく感じられるということがあります。個人の好みに関わらず、概して口どけがいいと咀嚼中の食品の風味が特に香りの面においてより多く、より強く感じられます。食べ物の中に隠された真に深い味わいというものは(質の悪さも)口中でよく溶けることによって、その姿をあらわすものだと私は考えています。 

そしてもうひとつにはフランスの文化においては「口中調味」をしないということがあります。
口中調味とは白ご飯を口の中に入れたあとにおかずを入れて一緒に咀嚼しながら味を合わせるなどの食べ方で、日本独自の食べ方だと言われています。日本独自と言われるように、この食べ方はフランスだけでなくヨーロッパでは一般的にはされていないようです。
米を主食とするアジアでも、韓国ではご飯とおかずを混ぜて食べたり、中国ではご飯におかずを乗せて食べたりすることが多く、「口中調味」の食べ方は日本ほどはなされていないように思います。
もちろん、食べ方などは個人の自由ですし、それぞれの地域の文化であり、私たち日本人はそういう食べ方をするし、塩味のない白ご飯を主食とし、塩鮭や佃煮、漬物などのしょっぱいものをおかずとし、またおみそ汁などの汁物と一緒に食べる和食の食べ方としては理にかなっていますし、そういう文化ですから、これは良い悪いの問題ではありません。
「パンにソースをつけて口の中で合わせて味わうのも口中調味じゃないか」、あるいは「フランス料理でも、ワインを飲みながら食事をするじゃないか」と思われるかもしれませんが、口中調味というのはあくまでも口中に食べ物がある内に次の食べ物や飲み物を口に入れる食べ方を指します。辞書にある言葉ではありませんが、より正確を期すために私はこの「口中調味」の食べ方を「足し食べ」及び「足し飲み」と呼んでいます。

フランス料理の文化では基本的にはこの「足し食べ」「足し飲み」をしません。料理にもそれぞれに味がついています。メインの肉や魚にももちろん、付け合わせの野菜にもソースにもパンにもそれぞれに丁度いい味がついていて、それぞれ単独でも食べられるようにするのがフランス料理の基本です。そしてデザートやお菓子も同様に、必ずしも飲み物が必要ではないように口どけよく作られています。
その意味で、そんな意識は誰もしていないでしょうが、フランス料理は基本的には足し食べ・足し飲みを必要としないようにできているということができます。
Ça fond dans la bouche ! ”(サ・フォン・ダン・ラ・ブーシュ!)はよく耳にするほめ言葉です。『とろけるぅー』という感じでしょうか。
フランス料理ではポタージュやピューレやムース、また肉や魚の加工品でもパテやテリーヌ、リエットなど、口どけのいい料理が数多くあります。
野菜はとことん柔らかく火を通すことが多いですし、魚料理もふんわりと柔らかく仕上げるのが基本です。海老やイカ、貝類などもプリプリといった歯ごたえよりもむしろ柔らかく口どけよく仕上げることが求められます。煮込み料理などは広くヨーロッパの料理の基礎であるスープ料理の延長ととらえられます。
果物もほとんどがとろけるものですし、洋なしや柿もそうですし、りんごでさえも心地よい歯触りのあと、まるで洋なしのように溶けていくものが多くあります。パンもよくできたバゲットなどは皮がパリパリで固くても噛めばビスケットのように細かくくだけ、もちもちとした粘りや過度の弾力もなく、歯切れよく口どけもよいものとなっています。 

フランス料理の場ではもしパンとスープを一緒に味わいたかったらパンにスープを浸して食べます。パンと前菜のテリーヌやメインの付け合わせの野菜料理を一緒に味わいたかったら、パンにそれぞれを乗せて口に運びます。ワインを飲みながら食事をする時でも、口中の食べ物がなくなってしまってから、ナプキンで口をふき、しかるのちにワインを味わいます。ワイングラスをベタベタに汚すなどは避けたいこととされています。ワインでなく水でも同様です。 

そういうわけで足し食べ・足し飲みをしない文化では、口どけの悪い食べ物は料理であれお菓子であれ、飲み込みにくかったり、のどにつかえたり、あるいは糊になって口蓋に張りついたりして、かなり不快なことになってしまいます。 

この足し食べ・足し飲みをしないということと、冒頭で述べた「食べ物は口中で溶けてはじめてその味と香りがよりよく感じられる……」ということとの二つの理由から、フランス菓子は口どけが良くなければならない、飲み物を必要としない、飲み物が無くても快適に食べられるということが基本的な要件であり、口どけが良くなければフランス菓子ではない、フランス菓子としては失格であるといっても言い過ぎではないほど、「口どけ」は重要なことだと私は考えています。