おいしさは時間がつくる


シェソア教室の生徒さんが先日飛騨高山にお店をオープンしました。パイとキッシュのお店です。

高山に伺った折に、会食中に美味しさとは何か、美味しいものを作るにはどうしたらいいかという話になりました。

おいしさって何?

食材の持つ成分から考えたり、あるいは人体の生理から考えたり、色んな切り口で考えることができますが、ひとつには、おいしさとは時間が作るものであるという話をしました。そうしたら、その言葉がずっと頭にあると言っておられました。 

時間をかけたから、時間をかけさえすればおいしいものが出来るとは言えませんが、かけるべき適切な時間をかけなければ、その時間を省いてはおいしいものはできないということは確かです。


まず、食材に関してです。

肉、野菜、果物、パン、チーズ、ワイン、あるいは調味料などの加工品などなど、おいしい食材ができるのには時間がかります。手間ひまを省いたもの、促成に栽培されたもの、促成に飼育されたものはやっぱりおいしくありません。料理にしても時間をかけずささっとできて、かつおいしいものもありますが、それはやはり元の食材が丁寧に時間をかけて作られたものである時だけのように思います。

促成栽培で味も香りも乏しく、水っぽいだけのサラダ菜やトマト、キュウリに市販のドレッシングをかけただけのサラダがおいしいものになることなどまずありません。丁寧に時間をかけて作られた野菜なら、塩をかけるだけでもおいしく食べられます。 

肉の煮込みなど時間がかかる料理にしても、圧力鍋、電子レンジなど使っても、確かに時間は短縮できても味をおいしくすることはないと思います。風味を保ったまま固い肉が柔らかくなり、他の味がしみこんでおいしくなるには時間が必要なのです。

パンやワインなど発酵食品にいたっては、時間がすなわちおいしさであるといってもいいくらいです。 

かけるべき時間を短縮し効率優先で作られたものは風味が希薄です。希薄な味をごまかすためには、塩、砂糖、油脂、発酵調味料などをたっぷり使って、味付けで食べさせることになります。それがまさに食品産業の工業的なものつくりです。ほんもののおいしさとは遠く離れたものでしかありません。 

お菓子作りも全く同じです。効率優先で作られた食材を使い、必要な工程を省いて短時間に作ってもおいしいお菓子ができることはありえません。

ものつくりは人のほうの都合ではなく、物の都合に人が合わせる、物のほうが育つ時間を作ってあげなければならない、その時間を省くことはできないと思うのです。 


それから次に作る人のほうに関してです。

おいしいものを作るためには、まず美味しい食材を選び、そしてこれから作るものの味を的確にイメージし、またできたものを判断することができる味覚を育てなければなりません。そしてそれを実現させるための技量を身につけなければなりません。 

味覚を育てるのには時間がかかります。小手先のテクニックを身につけるだけなら集中的に練習することもできますし、見かけの色や形を整えるだけのテクニックならたいした時間はかかりませんが、食材を味わい、できたものを味わって的確に判断できる味覚を育てていくにはとてつもなく長い時間がかかります。

そして自分の手でおいしいものを作り出す技量を身につけるのにも長い時間が必要です。ものつくりは結局のところ絶え間なくただひたすら作り続けるしかないからです。作っては食べ、食べては作り、失敗もしながら、食材の変化や環境の変化に合わせ、細かな調整と工夫をしながら、長い時間をかけて身につけていくしかないのです。その時間を省いては、おいしさを作り出す力はできません。 

無駄な手間ひまは省かなければならないかもしれませんが(無駄も結構貴重なことがありますが)、時間短縮、効率化、省力化といったことは、少なくとも料理やお菓子作りにとってはほとんどの場合その品質を(味を)損ねることにつながる、おいしさとは時間が作り出すもの、時間こそが大事なのだ、と私は思います。

 

冒頭の高山のお店はパイとキッシュのお店としてオープンされました。そのパイ生地をここまで手作りに徹して作られる方はそうはないと思います。量的な問題から商売につなげることがなかなか困難だと思われるからです。そのことに果敢に挑戦しておられます。エールを送りたいと思います。

お近くの方、飛騨高山に立ち寄られる方、是非訪ねてみてください。素敵なお店です。Elleys Kitchen



フランスのバター

 


久しぶりにフランスから輸入されているバターを使ってみました。

わかってはいたことですが、日本のバターに比べてそのあまりの違いに感を新たにしました。違いは何といってもその乳化力です。

基本的なサブレ生地をシュガーバッター法で作ってみました。バターに砂糖を混ぜ、次に卵を混ぜて乳化させますが、簡単にあっという間に乳化して混ざってしまうのです。しかもしっかりと強くつながる感じがあるのです。温度調節もおおざっぱに、卵も4回に分けて加えただけにもかかわらずです。

混ぜていて楽しくなります。日本のバターで作る時はいささかの苦痛と闘いながら混ぜなければならないのとはまるで違います。

日本のバターを使った場合では、材料の温度に細かく気を配り、卵はほんの少しずつ、混ぜかたにも細心の注意を払って混ぜなければならないし、それでも分離することはしばしばあるし、分離しなくてもなんとも頼りないつながりかたを感じることがほとんどなのです。

違いは乳化力だけではありません。食べてみた時、日本のバターは妙に脂っぽい感じがあるのに比べて、フランスのバターは脂っぽさを感じません。バターだけを食べてみてもそうですし、サブレ生地を焼いても脂っぽさをまったく感じなく、さくさくとした軽やかな出来上がりとなりました。

ブリオシュも作ってみました。

ブリオシュ生地はパン生地の一種ですが、バターがたくさん入るのが特徴です。そのバターが日本のバターだと生地の中にとても入りにくいのです。

混ざりにくいので結果こね過ぎになりがちです。グルテンが過度に出過ぎて、歯切れも口どけも悪くなります。手ごねだと手の温度でバターがすぐに溶けそうになります。出来上がった生地を手でさわるだけでもすぐに脂が浮いてきて、ふくらみも焼け方も悪くなるし、焼き上がりのブリオシュもなんとも脂っぽい感じになりがちなのです。

これがフランスのバターだと「あれーっ!」と叫んだくらい、簡単にバターが入ってしまったのです。

焼き上がったブリオシュは最高のおいしさでした。

サブレ生地を作りながら、そしてブリオシュ生地をつくりながらも「これじゃー!」と叫んでしまいました。

「これじゃー、何もかもが違うじゃないか!」と思ったのです。

日本料理は水の料理、中華料理は油の料理、フランス料理はバターの料理と言われます。フランス料理もフランス菓子もバターを使わないものはたくさんあります。しかし、バターを使う、バターで調理をする、バターで味をつける、バターはその根幹をなす最も重要な材料のひとつであり、他の料理に比べてバターを使うのがお菓子も含めたフランス料理の最も大きな特徴のひとつなのです。バターをどう使いこなすかが、その作り方の基本と言えます。

そのバターがこれだけ違うのではすべてが違うじゃないか、すべてが似て非なるものになってしまうじゃないか。ほんもののおいしさなんていつまでも分からないままじゃないか。

水の料理と言われる日本料理を、例えばご飯を炊く、ダシをとる、お茶をいれる、あるいは日本酒を醸造する、そばを打つ、豆腐を作るといったことを、石灰分の多い硬水で作るのと同じことになってしまうのではないか。

あらためてそう感じました。

日本のバターがフランスのバターのレベルになることを願うばかりです。


(追記)

今回使ったバターは市販の輸入品の中では比較的安価なもので、風味は弱いですが、その乳化力はさすがと思わせるものでした。なお、風味が弱く感じられたのは、パッケージ、温度管理、保存期間などの条件によって本来の風味が衰えていたせいかもしれません。


りんごがあった!


 お菓子に使えるりんごがありました!


「ブリーズ」というニュージーランドから輸入されているりんごです。

ニュージーランドのりんごはほかにも、ジャズ、ロイヤルガラ、プリンスなどいくつもの種類が輸入販売されていますが、このブリーズはお菓子に使うのに適しています。
4月から6月頃に日本で出回っているということです。
これまで、このブログでも、その前のヤフーのブログでも何度も訴えてきましたように、日本ではお菓子に使うのに適したりんごはほとんどないと、なかばあきらめていました。
りんごの話 りんごは小さいほうがおいしい タルトタタン
しかし、このブリーズというりんごを煮たり焼いたりしてみたら、なかなかいい感じなのです。甘味は充分、酸味も少しあり、香りはさほど強くはないのですが、火を通してもちゃんと残ります。
何よりも果肉がきめ細かく充実していて、煮ても焼いても身縮みが少なく、薄切りでオーブンで焼いても皮だけになってしまうようなことが少なく、これはお菓子に使うのにふさわしいりんごだと言えます。
また、生で食べても、繊維が強すぎず、さくさくと小気味よく食べれます。
お菓子には保存しておいて少し柔らかくなってから使うのがいいようです。
香りがもう少し強くあってくれれば申し分ないのですが、それでも今日本で手に入るりんごの中では、煮たり焼いたりしてお菓子に使うりんごとしては最適なものではないかと思えます。
(遠くからやってきていますし、ニュージーランドではもっとおいしいものなのかもしれません。)



りんごのクランブルタルトを作ってみました。生のりんごを乗せて焼いたにもかかわらず、空焼きしていない生地が湿気ることもなく焼け、香りも充分に残り、上々の出来。久しぶりにおいしいりんごのタルトを堪能することができました!

やっと見つけて喜んだのもつかの間、もうシーズンが終わってしまうようです。残念ですが、また来年の楽しみとすることにします。


火を通して使うりんご、お菓子作りに適したりんごがこの日本でも作られるようになることを切に切に望みます。

※このブリーズりんごですが、大変残念ながら、翌年(2023年)のものは出来がいいものではありませんでした。  (2023.7.5)

パウンドケーキが一番難しい

 パウンドケーキは簡単だと思われています。材料はシンプルだし、バター、砂糖、卵、粉をただ順番に混ぜていくだけだし。お菓子作り初心の人がまず作ってみようと思うものがこのパウンドケーキのようです。

でも、実はパウンドケーキが最も難しいお菓子の一つなのです。

何が難しいって、乳化です。このただ順に混ぜていくだけの方法はシュガーバッター法と呼ばれます。シュガーバッター法によるパウンドケーキの作り方では、乳化がすべてといっていいくらい、乳化が決め手なのです。乳化がうまくいかなければおいしいものにはなりえません。

この乳化が難しいのです。バターと砂糖を混ぜたところに卵を加えて混ぜ、分離しないよう乳化させるのがとにかく難しいのです。シンプルなだけに融通もきかないし、途中修正もできません。 

そもそも水と油は混ざりません。卵は水分が多く、バターは脂肪分がほとんどです。それをいわば騙し騙し混ぜていくのだから簡単ではないのです。

乳化させるのが難しい原因は多くは混ぜ方によるものと思われています。えーっ、作り方・技術のせいじゃないの?そうなんです。それは2番目の原因です。
1番目の原因は材料の品質によるものです。バターと卵の品質の問題です。

まずバターです。
これまで手に入って試したバターのほとんどは乳化力がとてもよくありません。その理由ははっきりしません。
バターには約2割の水分が約8割の脂肪分と乳化した状態で混ざっていますが、そのバターの乳化の状態がそもそもあまりよくないのではないかと考えられます。あるいは、バターの脂肪分はたくさんの種類の脂肪酸で構成されていますが、その脂肪酸の構成バランスがよくないのではないかとも考えられます。

次に卵です。
今普通に安価に買える卵では、やはり乳化がとても難しいのです。
卵の水分含有量が多すぎるのかもしれません。あるいは、卵黄の中にはレシチンという乳化剤の働きをする成分が含まれていますが、そのレシチンの働きが弱いのかもしれません。
このようなバターと卵では誰がやっても、どんなに完璧な混ぜ方をしたとしても、乳化は困難です。分離させてしまう確率は高いものです。 

では、どうしたらいいのか? 

もう何十年も前、フランスから戻ってきてしばらく経った頃のことです。パウンドケーキやアーモンドクリームなど、バターに等量の卵を混ぜるものがことごとく分離をしてしまい、途方に暮れたことがあります。

フランスではそんな経験がなかったからです。混ぜ方など特に気にすることもなく、分離などすることもなく、簡単に混ぜられていたからです。

いったいどうしたことか? 

乳化とはそもそも何か?そこから出発して混ぜ方を工夫してみました。(混ぜ方の詳細は旧記事をご覧ください。)でも混ぜ方を完璧にしても、それでも分離させてしまうことはままあります。
混ぜ方は大事ですが、たくさんの試作をしていく中で、フランス産のバターを使い、卵の品質のいいものを選んだら、比較的簡単に乳化させられることがわかりました。やはり材料が大事なのです。
それにしてもこれでは随分高くつくものになってしまいます。 

もう一つの方法は作り方を変えてみることです。

パウンドケーキの作り方には、この、順にまぜていくだけのシュガーバッター法だけでなく、共立て法や別立て法もあります。

共立て法は卵と砂糖を泡立ててから粉と溶かしバターを混ぜる作り方をします。これは失敗の少ない方法で、お菓子作り初心の人には一番のおすすめです。
別立て法はいくつかありますが、卵白を泡立てて混ぜる作り方をします。これは卵白の泡立て方と混ぜ方にやや難度の高い方法となります。
これらの作り方なら、乳化は問題とならず、明らかな失敗となることは少なくなるでしょう。


タルトタタン




タルトタタン、日本でもよく知られるようになったリンゴのタルトですね。
今から100年以上前、フランスのラモット・ブヴロンという町のレストランでタタンという人が作った、失敗から生まれたお菓子と言われています。
彼女はリンゴをオーブンに入れてから、生地を敷くのを忘れたので、あとからリンゴの上に生地をかぶせて焼いたということです。
私はこの話を始めて目にしたとき、「そんな馬鹿な!ありえない!」と叫んでしまいました。

ホテル・タタンのサイトにタルトタタンの話が載っています。
https://www.hotel-tatin.fr/un-peu-dhistoire-histoire-tarte-tatin
日本語では以下のサイトが分かりやすいと思います。
https://www.tsujicho.com/oishii/recipe/letter/totteoki/tartetatin.html

もし、レストランの料理の流れの中でデザートを作るのに、まずは用意してあったリンゴにとりあえず火を通し、それから何らかのデザートに仕立てようとしたのであったなら、これはもちろん失敗でも何でもありません。
そうではなくて、最初からリンゴのタルトを作るつもりであったなら、いくら忙しかったとしても、タルトにタルト生地を敷き忘れることなどありえないと思ったのです。
私にとっては、ピザを作るのにピザ生地を敷くのを忘れた、クレープを作るのにクレープ生地を忘れた、というのと同じに聞こえます。
素人でもありえない話ですが、ましてやタタンさんは旅籠のレストランの厨房をを切り盛りしていたプロなのですから・・・。


私は「そんな馬鹿な!ありえない!」と叫んだ時に、何かしら強い違和感を感じたのです。その違和感の正体をもう何年もずっと考えてきました。

日本ではタルトタタンはキャラメル風味の強いりんごのお菓子と受け止められているようですが、フランスでは色の薄いタルトタタンも数多く見かけましたので、特にキャラメル味にこだわってもいないように見うけられます。
日本では台となっているタルト生地の方が軽視されているような気がするのです。
タルトとは何か、タルトの美味しさとは何か、そして、タルトタタンの素晴らしさとは何か、について考えてみたいと思います。

タルトとは皆さんご存知のように、台となる焼いたタルト生地の上にクリームやフルーツやナッツなど色々なものが乗っかったお菓子のことですね。いや、お菓子に限らず、キッシュとかタルト・ア・ロニオン(玉ねぎのタルト)とか料理にもタルトと呼べるもの、呼ばれているものがたくさんあります。
台となる生地には砂糖の入ったパート・サブレ(PÂTE SABLÉE)、パート・シュクレ(PÂTE SUCRÉE)、砂糖の入らないパート・ブリゼ(PÂTE BRISÉE)、パータフォンセ(PÂTE À FONÇER)、また、折りパイ生地やブリオシュ生地などのパン生地も使われます。
タルトに使われるこれらの生地の原点はさかのぼればパンにあります。
小麦文化の地域では、平たく丸く焼いたパンに、あるいは薄く切ったパンに色々なものを乗せて食べていたと考えられます。具材を乗せてからまた焼くこともあったでしょう。
砂糖が発明される前でも、ハチミツやフルーツなどの甘いものを乗せて食べることもあったでしょう。
パンに何かを乗せて食べるという食べ方は彼の地のひとつの基本的な物の食べ方だと言うことができます。
この数千年の歴史の間に、パンがバターの入ったものや卵の入ったものや砂糖の入ったもの、現在のタルト生地やパイ生地に変化してきたものがタルトと言えるでしょう。

タルトとは土台となる生地を焼いたものに何かが乗っかったり詰められたりしているものなのです。土台となる生地がなくてはタルトとなりえません。クレープ生地がなくてはクレープになりえません。ピザ生地がなくてはピザになりえませんし、ご飯が無くてはお寿司になりえません。
土台を忘れることなどありえないと思うのです。土台は物としての土台であるだけではなく、文化的・精神的な意味あいでの土台でもあると思うのです。
タルトタタンはリンゴのお菓子である前に数多くあるリンゴのタルトの一種であり、その前にもっと数多くあるタルトの一種です。タルトはあくまでもタルトなのです。
彼我の歴史の違い、タルトという物に対する想いの違いを感じたのです。

タルトがパンに何かを乗せて食べてきたことから発展して、現在のタルトのような形になってからでも数百年は経っているものです。以来フランスでは人々の日常の生活に定着し、最も好まれているお菓子となっているものです。
好きなお菓子のアンケートでは、レモンのタルトや苺のタルトなどが必ず上位をしめているくらい人気のお菓子となっています。
一方日本では、タルトが認知され、よく食べられるようになったのは、ほんのここ数十年のことでしかありません。タルトが誰もが好み、日常のお菓子として頻繁に食べられるものにはまだまだなっていません。
彼我のタルトに対する想いの違いはとてつもなく大きいと言えるでしょう。
日本で、タルトタタンがその土台となる生地のおいしさが軽視され、キャラメル風味の強いりんごのお菓子と受け止められているのもいたしかたないことかもしれません。
もう40年以上も前のことですが、パリで春、苺の季節に、ただ生地を焼いただけのタルトに苺をびっしりと並べただけのタルトをよく見かけました。
日本でなら苺だけで食べるだろうと思ったことです。わざわざタルトにして食べようと思うくらいタルトに対する強い想いがあるのだと思えることでした。


タルトタタンが失敗から生まれたという話は話として面白いので伝えられてきたことなのでしょう。私個人は誰かがこしらえた話だと思っています。話は話として面白いので、それはそれでいいことですが、でも、それでは失敗から生まれたという話が面白いので、だからタルトタタンというお菓子が現在まで伝えられてきたのでしょうか?もちろんそんなわけではないでしょう。

リンゴのタルト(タルト・オ・ポンム)の作り方もたくさんありますが、一般的な作り方は、延ばしたタルト用の生地を型に敷きこんで、リンゴのコンポートなどを底に敷き、薄切りのリンゴを並べて、バターを塗って砂糖をかけて焼く、といったものです。
しかしこの作り方では、焼いている間にりんごの水分が生地にしみこんでしまって、生地のサクサク感が出ないので、おいしいタルトではなくなってしまいます。
なので、「空焼き」と言って、型に敷きこんだ生地をいったんサクッと焼いて、その中にフィリングを詰めるなどしてもう一回焼くという工夫をします。手間暇は倍かかってしまいますが、美味しいタルトを作るためには欠かせない工夫となっています。
もしキャラメル味の強いリンゴのタルトにしたいだけであれば、空焼きしたタルトに、しっかりキャラメリゼしたリンゴを詰めればいいだけです。最後に上に砂糖を振ってサラマンドルかバーナーで再度キャラメリゼすれば申し分ないものとなるでしょう。
ではタルトタタンの素晴らしさはどこにあるのでしょう。

タルトタタンの伝統的な作り方は、型かフライパンなどにバターと砂糖を入れ、火にかけてさっとキャラメリゼし、その上にくし形に切ったリンゴをびっしりと敷き詰め、生地をかぶせてオーブンで焼くだけです。実にシンプルな作り方です。それがとても美味しいものに出来上がるのなら、忙しい旅籠のレストランのデザートとしては理想的なものと言えるでしょう。
とてもシンプルな作り方ながら、上に生地をかぶせて焼くことによって、空焼きという結構大変な手間暇をかけることなしにリンゴの水分の生地へのしみこみを最小限にし、さくさくの美味しさを作り出しています。
実にそこにこそタタンさんの工夫の素晴らしさがあると思うのです。

タルトタタン(TARTE AUX POMMES À LA FAÇON DE SOEUR TATIN)。その名を冠して敬意をもって伝え続けられるに値する、素晴らしいお菓子だと思います。


〈追記〉
タルトタタンに関してもうひとつ大事なことをつけくわえておきます。
それは選ぶべきリンゴのことです。
お菓子に使う場合は常に大事なことですが、特にタルトタタンには果肉が充実していてきめ細かく、水分が少なめで焼き縮みのしないリンゴ、また、焼いてもとびにくい香りの強いリンゴを使うことが求められます。
リンゴが適切であれば、くし形に切ったものを並べて生地をかぶせて焼くだけの実に簡単な作りで、冒頭の写真にあるようなタルトタタンができます(これも紅玉リンゴを使っていますので、多少穴が空いています)。
現在の日本の多くのリンゴでは、この作り方だと以下の写真のようになってしまいます。


このすきまだらけのぶかっこうなだけでなく、切り分けるのも食べるのも大変な状態になるのを避けるためには、リンゴにあらかじめ火を充分通して、焼き縮みをさせておいて(??)、それを固めて上に生地をかぶせて焼くということをしなければなりません。
手間暇もかかりますし、長時間リンゴに火を通す結果となって、もともと香りの弱いリンゴでは香りがすっかりとんでしまって、ただただキャラメルの味だけのなんのお菓子だかさえわからない味になってしまいます。

タルトタタンに使うリンゴはゴールデンが最適だと思います。
ゴールデンは世界中でもフランスでも最も多く栽培され、最も多く食べられているリンゴだと聞いています。フランスのタルトタタンにもゴールデンが最も多く使われています。煮ても焼いても目減りがせず、果肉がきめ細かく充実していて、タルトタタンに使ったら、簡単な作り方でも縮んですきまが空くこともなく、リンゴどうしがぴったりくっついて、実にいい具合に仕上がります。
そのゴールデンがこの日本ではもうすっかり消えてしまったのはとても残念です。30年くらい前まではまだ多く見かけましたし、現在出回っている多くの品種のリンゴの親木となってもいますので、作れないわけはないと思うのですが・・・。

日本では果物に火を通して食べる習慣がありません。ほとんどすべてと言っていいくらい、果物は生食用に栽培されています。現在日本で流通しているリンゴのほとんどは、水分をたっぷり含んだスポンジ状のきめの粗い果肉となっていて、おそらくペクチン分もミネラル分も少ないものとなっています。そのため、火を通すと大量の水分をはき出し、身縮みが激しく、香りもなくなって、加工用には全く向いていません。

お菓子作りに携わるものとして、製菓用のリンゴ、煮たり焼いたりするのにふさわしいリンゴの栽培・流通を強く強く望むものです。



大理石がいい?


お菓子作りをする時に使う台は大理石の板がいいって本当でしょうか?

お菓子作りの作業台にはステンレスや大理石や木の板が使われます。
ステンレスなどの金属や大理石は熱伝導がいいので、熱いものを早く冷やしたい場合には都合がいいものです。たとえばチョコレートのテンパリングでは、溶かしたチョコレートを早く冷ましたいので、大理石や御影石などが使われます。

木の板より大理石の板やステンレスの方が触って冷たく感じるので、パイ生地やタルト生地などのバターを使った生地でもその方がいいと思うのは誤解です。
熱伝導がいいということは熱いものは早く冷ましますが、冷たいものは早く温めてしまうことになります。
木の板は熱伝導が悪いので、熱いものは冷めるのが遅いですが、冷たいものは温まるのも遅くなります。

作業中の板はどの材質であれ、室温と同じ温度になっています。扱う物がその温度より高いか低いかが問題なのです。手でさわって、木の板より大理石の板の方が冷たく感じるのは、手の温度の方が板の温度より高いので、熱伝導のいい大理石の方がその温度を早く伝えるためです。
板の温度を手の温度より高くしてやれば、大理石の方が木より温かく感じるでしょう。
同じ大きさの氷の塊を置けば、木の上より大理石の上の方が氷は早く溶けていく道理です。

バターを使ったパイ生地やタルト生地、あるいはクッキー生地などを延ばす時は常に冷蔵庫でねかせて、充分冷たいものを使います。作業中にバターを過度に柔らかくしないことが要求されます。
この場合は生地の方が板より常に冷たいわけですから、温度が伝わりやすい大理石やステンレスを使うと、生地の冷たさを奪って生地はあっという間に柔らかくなってしまいます。
熱伝導の悪い木の板の方が柔らかくなるのが遅くなります。それも重くて目の詰んだ板より軽い気泡の多い板の方がより熱伝導が悪いので、軽くてそらない板を使うことが勧められます。
表面は目が詰んでいて平らで、中は気泡の多いような軽めの集成材がいいでしょう。

繰り返しになりますが、チョコレートのテンパリングなど、熱いものを早く冷やしたい時は大理石の板が適当ですが、バターを使ったパイ生地、タルト生地、クッキー生地など冷たいもの延ばしたりする時は、温まり方の遅い木の板の上で作業をすることが適切だと言えます。



マドレーヌ、どっちがほんと?

※スマートフォンでご覧いただいている方は、PC版サイト(デスクトップ用)の表示に切り替えていただくとリストがご覧いただけます。



Q:マドレーヌは真ん中がぽっこりふくらんでいるのと、なだらかなのと、どっちがほんとなのですか?


A:結論から言いますと、どっちもほんとです。おいしくさえあればどっちでもいいのではないかと思います。

フランスでは手作りでも大量生産のものでもいずれもぽっこりふくらませているようです。一方日本では、手作りではおへそがぽっこりふくらんでいるのを良しとし、スーパーやデパートなどで売られているような大量生産のものでは、なだらかにふくらんでいるものを良しとするようです。
量産の場合は、おへそがふくらんでいると置いた時に安定が悪く、包装機にもかけづらいし(脱酸素剤等を入れる場合)、陳列や箱詰めもやりにくいから、なだらかにふくらませているということです。


ふくらみ方をコントロールするにはいくつかの方法があります。

1.生地の配合
配合的に生地の流動性を低くする、つまり粉の量を多くして水分量を少ない配合にすれば、オーブンの中で生地の周り、淵のほうが先に固まって動かなくなり、まだ固まっていない生地が中央に集中して、ぽっこりふくらむことになるわけです。
その逆に配合的に粉の量を少なくしたり、牛乳を加えるなどして、生地の流動性を高めてやれば、生地は淵のほうがあまり早く固まらず、全体にふくらもうとします。結果、真ん中があまりふくらまず、なだらかになるというわけです。

2.卵の泡立て
卵の泡立てではなく、ベーキングパウダーの力で主にふくらませるほうが真ん中がふくらみます。ベーキングパウダーでは高温になってから一気にふくらみます。その時には周りはすでにある程度固まっていますので、ふくらみは中央に集中するのだと思われます。
焼きあがったものを2つに切ってみると、中央に気泡が勢いよく上に上った跡が見えます。一方、卵をたくさん泡立てるやり方だと、細かい気泡が生地全体に散らばっている状態なので、全体にゆっくりとふくらもうとし、その為なだらかなふくらみになりやすいようです。

3.型の処理
生地はオーブンの中で周りから熱が入っていきます。そのため淵のほうが先にすべり上がり、それから中央へふくらんでいこうとします。その淵のほうの生地のすべり上がりが多ければ中央のふくらみは少なくなります。逆に淵のすべりが少なければ中央で多くふくらみます。
型にバターや油を塗るだけなら、淵のすべり上がりは多くなりますし、バターを塗って粉を付ければ淵のすべり上がりは少なくなります。型の材質によっても違ってきます。

4.焼き方
焼き方でも変わってきます。
比較的低温でゆっくり焼けば、生地は全体にふくらんでなだらかになり易いようです。高温で一気に焼こうとすると、淵の固まりが早いため、中央がぽっこりふくらみ易くなります。オーブンの性格にもよります。

他にも方法はあるかもしれませんが、現実にはいくつかの方法を組み合わせて、自分のイメージの形に焼き上げることになります。


ところで、冒頭に書きましたように、大量生産の場合、日本ではふくらみをなだらかにすることが多いのに、フランスではお構いなしにぽっこりとふくらませています。
置いた時に安定が悪いという条件にいずれも変わりはないのに、どうしてだと思いますか?

日本では、シェル型で焼いた場合の溝のついた模様になっているほうを表と信じて疑わなかったのでしょう。フランスではぽっこりふくらんだ伝統の形を重んじ、ふくらんだほうを表にしたということでしょう。あるいは、模様にあまりこだわりがなく、安定のいいほうを選んだということかもしれません。

フランスでのマドレーヌの形にご興味のあるかたは、‘madeleine de commercy’で検索してみてください。