おいしいお菓子を作るには(3)


                      



ではどうしたら、おいしさを分かる、おいしさを判断できる力を身につけることができるでしょうか。

それには味覚・嗅覚を育てる必要があります。
味覚・嗅覚は育てるものであり、育つものであるという認識が必要です。美術品を見る力は視力とは違います。音楽を聴く力は聴力とは異なります。味覚・嗅覚による判断力も同様です。それらは訓練によって感覚を育てることで得られるようになります。感覚を育てるということは持って生まれたそれら感覚器官を鋭敏にするということだけではなくて、むしろその感覚器官に携わる脳の領域を広げ育て、ブラッシュアップしていくことと考えられます。

そのためにはとにかく経験を増やすこと、それら感覚器官を意識的に刺激し続けていくことが求められます。骨董品を見る力を養うには、いいものをただただたくさん見ることだと言われます。絵画を見る力も同様だと思います。音楽を聴く耳を養うにもいい演奏をただただたくさん聞くしかないでしょう。味覚・嗅覚で言うならば、ただただ意識的に食べ続けていくしかありません。

色々なものをたくさん味わっていくしかありません。それも他のことを考えながらとか、ただ漫然と食べるのではなく、集中して意識的に味わうことです。
「量は質を凌駕する」という言葉があります。たくさんたくさん意識的に味わっていく内に次第にいいものを選びとる力ができていきます。いいものを選びとる力ができていけば、それによって味覚・嗅覚が育っていきます。味覚・嗅覚が育っていけば、いいものを選びとる力がさらに確かなものとなっていきます。そううやって好循環が生まれていきます。

そうした経験を積む時に忘れてはならないことは、「好みで判断しない」ということです。
好みは変わりますし、変えられます。好みは絶対的なものではありません。嫌いだったり食べられなかったりしたものが大好きになったりする経験は誰しもあることでしょう。自分の好き嫌いというものが厳としてあり、その時点の自分の好みに合うか合わないかだけで食べ物を味わっていては、味覚・嗅覚の発達はその時点でストップしたままです。自分の好みばかりに囚われていては味覚・嗅覚の発達はおぼつかないし、未だ知らないより大きな喜びの世界を知ることができないことになります。それはあまりにもったいないという気がします。
甘いものが苦手なら甘いものの良し悪しは分からないでしょう。しょっぱいものが嫌いなら、しょっぱいものの良し悪しは分からないでしょう。酸っぱいもの、苦いものでも同じことが言えます。匂いの強いチーズや果物が苦手なら、その良し悪しは分からないでしょう。

好みを排して、あるいは脇に置いておいて、ただ味わう、食べ物によって自分の味覚・嗅覚を育てていくという気持ちでただ味わうことです。見た目や情報や好みなど何物にもとらわれずに、今口の中にあるその食べ物に向き合って、その食べ物からのメッセージを受け取る経験を積むことによって味覚・嗅覚が育ち、おいしさを判断できる力が身についていきます。そうして、質のいいものをおいしいと思え、質の悪いものをおいしくないと思える味覚・嗅覚を育てていくことが何より肝要です。

食べ物の食べ方とか好き嫌いとか個人の勝手じゃないか?その通りだと思います。しかしながら、味覚・嗅覚が育っていなく質のいいものを選びとる力がなければ、質のいいものはどんどんなくなっていき、味わいの乏しいものばかりが大量に出回っていくことになります。質のいいものを選びたくても選べなくなってしまいます。質のいいものがなくなっていけば、味覚・嗅覚はさらに衰えていきます。味覚・嗅覚が衰えていけば……。悪循環は今現実のものとなっています。


「おいしいお菓子を作るには」、本物の材料を選び、出来上がったものを的確に判断できる味覚・嗅覚を育てることが必要です。質の悪い材料からおいしいお菓子が出来ることはあり得ません。材料さえ良ければ思っていたものと少々違ったものができたとしても、それなりにおいしく食べれるものです。作り方のノウハウとかテクニックなぞは本当に二の次なのです。ものつくりは結局のところ、ただひたすら作り続けるしかありません。作り続けているうちに、適切なレシピや作り方も選択でき、またテクニックも身についてくるようになるものです。

食材の命が持つ力こそがおいしさの元なのです。