ムッシュー・ポネとのインタヴュー⑵



ムッシュー・ポネとのインタヴュー⑴のつづきです。


-菓子職人と学校の先生とでは違いがあるのでしょうか?
-はじめは、それは同じものです。菓子の学校の先生というものも、最初は菓子職人です。つまり、数学であれ、体育であれ、音楽や絵画であれ、すべての分野における教師と同じように、自分の分野を学ばなければなりません。しかしながら、教師というのはその上に、まず第一に、他の人に対して自分の知っていること、自分のできることを分け与える愛情が必要なのです。従って、人間心理に対する洞察力や忍耐心、我慢強さが必要となってきます。もちろん、自分自身の両の手を人に与えることは出来ませんが、それにもかかわらず、教える相手を自分と同じようにできるようにもっていくことを試みる力というものが必要です。それは必ずしもうまくいかないことが多いだけでなく、しばしば実現不可能なほどのこともあります。しかし、究極にはそれが教えるということの目的なのです。そしてそれだからこそ、重要なことは人間との接触を好む人でなければならないということです。仕事場で黙ってコツコツと仕事をして、それで充分幸せな人もたくさんいます。しかし、教師はそれではいけません。たとえば私は孤独が好きではありませんし、より多くの人間と接触できるほうが、私には満足なのです。
 
-話が変わりますが、この学校の創設の目的は何なのですか?
-この学校は、基本となる材料の質というものがいかに大事で、また、その質を保つことがいかに必要なことであるかということを、人々に理解させるために作られたのです。といいますのは、人々は私たちの周りに出回ってきた、より質の悪い材料を使って、より安易な仕事をするように段々なってきたからです。確かに、それらの新しい材料を使えば比較的容易に利益をあげることができますが、結果として、決してより良い質のものを作り上げることにはなっていないからです。
-その考え方はルノートルの工場で、あるいは店で、成功をおさめているのでしょうか?
-ルノートルのメソッドというのは、先ほども言いましたように、質を落とさないということです。ルノートルは非常に大きくなりました。最初は12人から始めて、今や600人からいます。その根本原則を貫いて、ここまで大きくなったことは一つの成功と言っていいかと思います。私たちは今だに質を損じることなく、可能な限り合理的に仕事をする方法を守っています。たとえば、私たちは人間の手の代用として機械を使う場合にも、その機械を取り入れることが材料の質を、あるいは出来上がってくるお菓子の質を損じるようになることは避けています。それがルノートルのメソッドなのです。

-大きな店の問題点は何なのでしょうか?
-あぁ、それはとてもいい質問です。小さな店しかなかった時代には、大部分の場合、店のすぐ裏に主人がいて、そこでパンやお菓子を作っていました。そして女主人が店に出て、販売や会計を、あるいは注文を引き受けたりして、客との接触をしていました。大きな店では、たとえば売り場をいくつも持つようになると、主人が、あるいは女主人がいつもそこにいるというわけにはいかなくなります。なぜこういうことを言うかといいますと、客というものは、主人、あるいは女主人がその知っていることを客に対してアドバイスしてくれることを欲しているからです。それは人間関係の問題です。いったん人間関係ができると、客はその店に行くほどに、またその店に来るようになります。
超大型店舗、スーパーマーケットなどというものは、この人間関係というものを全く破壊してしまっています。客は物を買いに行き、誰とも話をせず、物をとって見、支払い場に行き、勘定を払って出ていく。そこには対話、会話というものがありません。客は自分の買ったものについてすらそれが何だか充分に知らないでいます。そこには会話が欠けているからです。
そういう場所では、もしかしたら少し安く物を買えるかもしれません。しかし、人間性を持った人間というものは会話を必要とするものです。家を出ても話をせず、スーパーマーケットで黙って物を買い、家に帰ったらテレビの前で休む。一方的に話をするのはテレビの中の他人です。パートナー、子供、家族と話をすることもない。こういうふうに、もう会話というものがほとんどなくなっているわけです。こういう日常的な小さな事どもの中にも、大きなことと思えることよりずっと大事なことが含まれていることがあると、私は思います。
 
-アメリカのような産業的・工業的メソッドをどう思いますか?
-すべてのメソッドというものは決して悪いわけではないのです。消費者が何を要求するかに適応させなければならないからです。しかし、アメリカのメソッドというものはフランスでは成功していないようですね。繰り返しになりますが、アメリカのメソッドというものは、いわば前出のスーパーマーケットと同じことです。人間関係というものを抜きにしてやっているのです。彼らも可能な限りいいものを作るようにしてはいるのでしょうが、結局のところ、やはりそれは金を多く早く稼ぐためのもので、ただそれだけなのです。
-ルノートルのメソッドというのは、そうではないのですね。
-そうではありません。それは職人のメソッドです。職人というのは全く反対で、もしかしたら利益を得るのにより時間がかかるかもしれません。もしかしたら、よりやりにくいことがあるかもしれません。しかし職人はより社会に参加することになります。客を知り、客の好みを知り、客の習慣や生活を知っています。そしてこれらのことは、産業化のメソッドでは問題とされないことなのです。そこでは何かを作り出すけれど、その物がどこへ行くかさえ知らないでいるというわけです。

(つづく)